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というのも目の前の道は旧東海道。
つまり、江戸時代までの東海道であり、熱田神宮に参拝する人たちが歩いてきた道だ。
かつては、街道沿いのこの場所にたくさんの旅籠が立ち並び、
参拝者は宿泊し、身を清めてから熱田神宮に向かっていた。
というのも、ホテルのすぐそばには「鈴之御前社」という神社がある。
この神社は熱田神宮に参拝する人たちがお祓いをしていた神社。
かつては、この神社のそば、このホテルそばに「精進川」と呼ばれる川が流れていた。
その川の水で身を清め、鈴を鳴らしてお祓いしていた。
日本の神様は穢れを嫌う。
だからこそ、宿で汗を流して身を清め、
お祓いをして心を清めてから熱田神宮に向かうのだ。

名古屋の街の歴史は、遡れば「あつた(熱田)」に始まる。
熱田には、熱田社(現在の熱田神宮)を中心に町並みが広がり、
東西に街道が走り、海岸線沿いだったこともあり、
海産物の市も立ち、大変賑わっていた。
江戸時代には、東海道が通り、七里の渡しから
舟で桑名に向かう拠点として、大きな宿場町に発展。
熱田社の南口から七里の渡しまでの参道を軸に、
東には宿場町、西には湊(港)町が栄えた。
熱田の宿場は、天保14年には、本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠が248軒立ち並ぶ、
東海道の中でも日本で最も大きな宿場町だった。
しかし明治に入り、国鉄の熱田駅が神宮北東に移り、
周辺に軍事産業が立地することとなり、東海道と熱田神宮の参道は道路で寸断され、
歴史ある熱田の町は時代の中で薄められていった。
「エクセルイン名古屋熱田」は、
そのような現代の熱田の町の中で、
昔宿場町として栄えた、まさにその場所に立っている。
ホテルの前には旧東海道があり、裁断橋と都々逸発祥の地が目の前に。
宿場町は江戸時代この場所を玄関口として旅籠が連なっていた。
当ホテルのコンセプトは、
この日本最大の宿場町だった「あつた(熱田)」を想い、
新しい現代の「あつた(熱田)」の旅籠を創造すること。
まるで邸宅のようなおもてなしをしたくなる「文化的な空間」
そして洞窟のような心と体が「スピリチュアルに洗われる場所」へ。








